幕府の大名統制と武家諸法度



幕府の大名統制と武家諸法度






大阪の役で豊臣家を滅ぼした徳川家康は、元和元年(1615)諸大名を伏見城に集め、二代将軍秀忠の命令形式で諸大名統制のために、全十三ケ条の武家諸法度の元和令を発布した。将軍職を退いた家康の元で江戸幕府の法律の立案、外交、宗教統制を一手に引き受けていた僧侶の以心崇伝(金地院崇伝)が起草した。崇伝は、キリスト教の禁止、寺院諸法度、武家諸法度、禁中並公家諸法度の制定に関わった。







大名を対象とした武家諸法度は、元和令(1615)、寛永令(1635)、寛文令(1663)、天和令(1683)、宝永令(1710)、享保令(1717)までの将軍の交代と共に改訂が重ねられた。寛永12年(1635)に江戸幕府が将軍直属の家臣である旗本、御家人を対象とした統制法令「諸士法度」を発布した。この法度は旗本法度とも呼ばれ、全23条からなる、忠孝/軍役/振舞/相続/職務/衣服/倹約など広範囲に規定されていた。五代将軍綱吉は、武家諸法度の天和令(1683)改正の際に諸士法度を統合した。










武家諸法度と寛永令の19条文



寛永12年(1635)発布者徳川家光 起案者林羅山





1、武芸や学問を嗜むこと。




2、大名や小名は自分の領地と江戸との交代勤務を定める。毎

  年4月に参勤すること。供の数が最近非常に多く、

  領民負担である。今後はふさわしい人数に減ら

  と。ただし、洛の際は定めの通り、役目は身分にふ

  わしいものにすること。




3、新たに築城することは厳禁する。居城の堀、土塁、石塁

 どが壊れたときは、奉行所に申し出て指示を受けること。

 櫓、塀、門などは元通りに修理すること。





4、江戸や他藩でたとえ何か事件が起こったとしても、国元に

  いる者はそこを守り、幕府からの命令を待つこと。





5、どこかで刑罰が執行されていても、担当者以外は出向いて

  はならない。検視者に任せること。





6、謀反を企て、仲間を集め、誓約を交わすようなことは禁止

  とする。





7、諸国の藩主や領主は私闘をしてはならない。日頃から注意

  しておくこと。もし争いが起きた場合は奉行所に届け出

  て、その指示を仰ぐこと。





8、藩主、城主、所領1万石以上、近習、物頭は、幕府の許可

  無く勝手に結婚してはならない。





9、贈物、贈答、結婚の儀式、宴会や屋敷の建設などが最近華美になってきているので、今後は簡略化すること。その他のことにおいても倹約を心掛けること。





10、衣装の等級を乱れさせてはならない。白綾は公卿以上、  

  白小袖は大夫以上に許す。紫袷/紫裡/無紋の小袖は、み 

  だりに着てはならない。家中の下級武士が綾羅や錦の刺

  繍をした服を着るのは古くからの定めには無いので、禁

  止とする





11、輿に乗る者は、徳川一門、藩主、城主、所領1万石以上、

  国持ち大名の息子、城主、侍従以上の嫡子、50以上の

  者、医者、陰陽道の者、病人等許可されている者に限

  り、その他の者は乗せてはならない。ただし、許しを得

  た者は別とする。諸家中においては、その国内で基準を

  定めること。公家・僧侶・その他身分の高者は、その

  定めの例外とする。





12、元の主人から問題のあるとされた者を家来として召し抱

  えてはならない。もし反逆者や殺人者との知らせがあれ

  ば元の主人へ返すこと。行動が定かではない者は元の主

  人へ返すか、または追放すること。





13、幕府に人質を出している家臣を追放・死刑に処する際に

  は、幕府の命を伺うこと。もし急遽執行しなければなら

  ない場合に執行する際には、その詳細も幕府に報告する

  こと。





14、領地での政務は清廉に行い、違法なことをせず、国郡を

  衰えさせてはならない。





15、道路、駅の馬、船や橋などを途絶えさせることはせす、

  往来停滞させてはならない。





16、私的な関所を作ったり、新法を制定して港の流通を止め

  たりしてしてはならない。





17、500石積み以上の船を造ってはいけない。





18、諸国に散在する寺社の領地で昔から所有しているところ

  は、今後取り離してならない。





19、全て幕府の法令に従い、どこにおいてもこれを遵守する

  こと。









by watkoi1952 | 2020-09-06 15:34 | 徳川将軍家と諸大名家 | Comments(0)