上野寛永寺五重塔



上野寛永寺五重塔



寛永8年(1631)江戸幕府の老中土井利勝(下総古河城主)の寄進で、藤堂高虎の下屋敷地内の上野東照宮の五重塔として創建された。寛永16年(1639)春の花見客の過失により焼失するも、その年内に再建されたのが、現在の寛永寺五重塔である。




(江戸図屏風に描かれた上野東照宮境内の五重塔)

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明治新政府が発令した「神仏廃止令」により、上野東照宮の五重塔は上野寛永寺の管理下に置かれた。そもそも五重塔は、お釈迦さまの遺骨である仏舎利を納める塔で、仏教文化を表す建造物である。従って、神仏習合が否定された神社と寺院が分離され、神社の仏塔はありえないことになる。現在は、東京都の管理下の上野動物園敷地内にあり、名称は旧寛永寺の五重塔である。




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by watkoi1952 | 2019-01-28 19:35 | 江戸の五重塔 | Comments(0)