田安御門



田安御門



田安門は、寛永6年(1629)に松平伊予守忠昌が築いた。門内にあった田安大明神(築土明神)から名付けられた。高麗門の扉の釣金具に、寛永13年(1636)の職人の銘「九州豊後住人、御石火矢大工(大砲鋳造者)渡辺石見守康直」と刻まれていて、大修復工事のあったことが推察できる。



築城後、この田安台は、北の丸と称して、代官屋敷や大奥に使えた女性の隠遁地となった。家康の近親者の千姫、春日局、側室英照院などの屋敷もあった。享保15年(1730)八代将軍吉宗の次男宗武は、北の丸西側一帯を拝領して田安家を興した。宗武の七男松平定信は、この田安屋敷で生まれた。昭和38年(1963)に田安門の修復が行われ重要文化財に指定された。


田安御門_a0277742_18113780.jpg




田安門は、江戸城創建当時に遡れる現存唯一の、風格を有した枡形城門である。警備には、1万石の譜代大名が勤務、羽織袴の番士4名が勤めた。鉄砲10挺、弓5張、長柄10、持筒2、持弓1、を常備していた。大正後期に門前の急峻な九段坂を掘り下げたため、田安門に向かう土橋が平坦から登り坂になったことがわかる。






九段坂より田安門枡形内に入る高麗門

田安御門_a0277742_13225897.jpg







枡形内より渡櫓門を抜けると、すぐ左に武道館。

田安御門_a0277742_21564877.jpg






徳川御三卿 田安家の田安門、清水家の清水門

田安御門_a0277742_212317100.png






天下祭の神田祭礼は、九段坂より田安御門に練込み


天下祭では、江戸城入城が許された。神田明神祭列は、田安門から入城して、直進すると上覧所(現乾門)で将軍や大奥に謁見後、竹橋門から城外へ出て神田方面に向かう。



田安御門_a0277742_22175390.jpg







葛飾北斎が描いた九段坂 中央の土橋を左に進むと田安門

田安御門_a0277742_16123063.jpg







昭和39年(1964)東京五輪の日本武道館と田安門


田安御門_a0277742_13411517.jpg











by watkoi1952 | 2012-06-29 18:31 | 江戸城三十六見附 | Comments(0)