田安御門
田安御門
田安門は、寛永6年(1629)に松平伊予守忠昌が築いた。門内にあった田安大明神(築土明神)から名付けられた。高麗門の扉の釣金具に、寛永13年(1636)の職人の銘「九州豊後住人、御石火矢大工(大砲鋳造者)渡辺石見守康直」と刻まれていて、大修復工事のあったことが推察できる。
田安門は、江戸城創建当時に遡れる現存唯一の、風格を有した枡形城門である。警備には、1万石の譜代大名が勤務、羽織袴の番士4名が勤めた。鉄砲10挺、弓5張、長柄10、持筒2、持弓1、を常備していた。大正後期に門前の急峻な九段坂を掘り下げたため、田安門に向かう土橋が平坦から登り坂になったことがわかる。
九段坂より田安門枡形内に入る高麗門
天下祭の神田祭礼は、九段坂より田安御門に練込み
天下祭では、江戸城入城が許された。神田明神祭列は、田安門から入城して、直進すると上覧所(現乾門)で将軍や大奥に謁見後、竹橋門から城外へ出て神田方面に向かう。
葛飾北斎が描いた九段坂 中央の土橋を左に進むと田安門
by watkoi1952 | 2012-06-29 18:31 | 江戸城三十六見附 | Comments(0)