江戸城西丸の伏見櫓
江戸城西丸の伏見櫓
伏見櫓
西ノ丸伏見櫓は、寛永5年(1628)西丸築城にあたり、京都伏見城の櫓様式を摸したと伝えられる。月見櫓とも呼ばれ、櫓に続く漆喰白壁の多聞櫓がひときわ美観を呈し、江戸城の面影を伝えている。本丸には、多くの櫓があったが、西丸には伏見櫓が唯一の櫓である。宮内庁では、伏見城の櫓から移建した記録はなく伝承としている。しかし、二条城総門や福山城伏見櫓などは伏見城の解体移建であり、家康はきわめて巧妙に織豊時代の残した色彩を抹消し、その存在を世人から遠ざけている。


伏見櫓と多聞櫓
櫓は武器を貯蔵するための「矢倉」と、それに拠って防戦する「戦櫓」の二つの意味がある。櫓には、一層から三層、あるいは五層、七層まであり、城中で最も重要な櫓を「天守閣」と呼んでいる。また、櫓門の上の櫓を「渡櫓」、富士見櫓や巽櫓など石塁の角隅にある「隅櫓」、石塁上に長く連続した長屋造りを「多聞櫓」と呼んでいる。

多聞櫓の発祥は、大和で勢力を奮って下克上を代表した戦国武将・松永長秀の多聞山城に用いた長屋式の続櫓である。戦国の城に備えた兵士の宿舎は、堀立柱の長屋であった。この長屋を城郭の外壁石垣の上に、櫓に使える本格建築に変えたのが多聞山城である。この形式が近世城郭に受け継がれ、長屋式の櫓は「多聞櫓」と呼ばれた。
皇居宮殿中門
一般参賀の当日は、正門石橋を渡り皇居正門から入場する。右折するとひときわ目を引く伏見櫓が美観を呈して迎える。二重橋と呼ばれた正門鉄橋を渡り、江戸城西ノ丸下乗門と称した「中門」を潜ると長和殿東庭の広場に出る。

正門鉄橋から正門石橋を望む

by watkoi1952 | 2012-06-22 12:17 | 皇居の歴史と景観 | Comments(0)

