新橋と汐留橋
新橋と汐留橋

汐留橋から蓬莱橋
明治7年(1874)11月、土佐藩の家老/後藤象二郎は、長崎の高島炭鉱(軍艦島)を佐賀藩から買上げ金55万円で譲り受けて、商社「蓬莱社」ビルを竣工した。この蓬莱社の拠出金で、同7年5月に汐留木橋から汐留石橋を完成して「蓬莱橋」と改称した。今も跡地の道路上にある信号機の標識に蓬莱橋の名が残されている。蓬莱社の経営破綻から高島炭鉱は、明治14年(1881)岩崎弥太郎に売却され、これが三菱財閥繁栄の礎となる。1世紀以上に渡り、石炭は日本のエネルギー経済を支え続けた。

新橋駅と汐留駅
蓬莱橋(汐留橋)を渡ると、2棟の新橋駅舎が見える。明治5年(1872)新橋駅は、日本最初の鉄道路線の起点として開業した。大正3年(1914)、旅客ターミナル駅の機能を新設の東京駅に移した。そこで新橋駅の広い構内を貨物専用駅に再利用が決まり、近接した汐留橋から「汐留駅」と改称した。同時に客車専用駅の烏森駅を「新橋駅」と改めて現在に至る。

明治4年[1871)12月、新橋停車場の駅舎は、アメリカ人R・P・ブリジェンスの設計により竣工した。木骨石張り2階建て洋風構造で、文明開化の象徴として親しまれた。この駅舎は、大正12年(1923)9月1日の関東大震災で焼失した。

風俗画報/新橋停車場の図

新橋停車場とプラットホーム

新橋停車場跡に駅舎を再現
昭和61年(1986)汐留駅は、貨物専用駅の使命を終えて廃止された。平成3年(1991)跡地の再開発工事に先立つ、埋蔵文化財の発掘調査で新橋停車場駅舎とプラットホームなど構内施設の礎石が発掘された。平成8年(1996)12月10日発掘された遺構が史跡「旧新橋停車場跡」として、国の指定を受ける。これらの史跡保護と国立鉄道発祥の往時を偲ぶため、当時と同じ位置に駅舎を忠実に再現したものである。

江戸名所図会 新橋/汐留橋
江戸名所図会に描かれた汐留川の左上に架かる新橋の通りは、現在の銀座中央通りである。右下流の橋は、吉良邸への討入り後、泉岳寺へ向かう赤穂四十七士が渡った汐留橋である。汐留橋の上を右方向に流れるのが、銀座の川と呼ばれた三十間堀川である。

江戸復元図

by watkoi1952 | 2012-06-19 16:28 | 江戸城の内濠と外濠の景観 | Comments(0)

