浜御殿正門



浜御殿正門



幸橋御門から芝口橋門と汐留川を下ると浜御殿に出る。浜御殿正門は、江戸城三十六見附の最大規模を誇る枡形門を有する。現在、大型観光バスの駐車場となっている。承応3年(1654)四代将軍家綱の弟で、甲府城主松平綱重が将軍家の鷹場の海を埋め立て、75千坪の下屋敷とした。山ノ手に対する海ノ手屋敷と称した浜御殿は、歴代の将軍が訪れた別邸である。潮の干満で海水を引き入れる回遊式泉水庭園で、その趣のある庭園で鴨を猟遊する東京で唯一の鴨場二大施設がある。





写真右の濠が汐留川で奥に中ノ門橋が見える。現在この上を高速道路が走り、川は細い水路のようになっている。浜御殿正門橋の左から築地川となる。


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江戸の浜御殿


浜御殿には、歴代将軍の中でも11代将軍家斉は、百五十回以上の御成を記録している。10代将軍家治は、50歳で死去したため、家斉は15歳で11代将軍になる。幕政は、松平定信や松平信明ら幕閣に任せ、在任中に歴史を揺るがす事件もなく平穏に過ごせた。家斉は、大奥と浜御殿に籠り、側室の子数は55名に及んだ。




天保12年(1841)家斉は、69歳で没したが、歴代最長54年間の将軍生活で、幕閣の懐柔に浜御殿での接遇に明け暮れた。14代将軍家茂、和宮、天璋院篤姫がそろって、浜御殿で清遊された記録もある。また、鳥羽伏見の戦で敗れ、幕府軍艦開陽丸で大阪城から逃げ帰った慶喜公を迎えた「将軍お上がり場」の石段が史跡となる。




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明治の浜離宮


明治2年(1869)我が国初の西洋館「延遼館」が建造され、鹿鳴館ができるまで迎賓館の役割を担っていた。翌年、宮内省の管轄となり、皇室の浜離宮となる。昭和21年(1946)に都立庭園として開園した。旧浜離宮庭園として特別史跡・名勝に指定される。





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by watkoi1952 | 2012-06-08 16:27 | 江戸城三十六見附 | Comments(0)