牛込神楽坂



牛込神楽坂



江戸時代の牛込御門は、別名「楓の御門」とも呼ばれていた。牛込見附門の周囲や通りには、多くの楓が植えられており、昼なお暗いほどの樹木の様子であった。楓の御門の秋の紅葉は、素晴らしく、桜の御門と呼ばれた市谷御門とともに、春秋一対の景色を織りなしていた。




牛込神楽坂_a0277742_17432057.jpg





牛込神楽坂_a0277742_1493317.png




儒学の大家である荻生徂徠は、牛込若宮町に居を構えた頃「牛門先生」と呼ばれていた。牛門とは、牛込御門のことである。徂徠を深く尊敬する太田南畝は、「牛門四友」という狂歌仲間を作り、城門緑樹と題して「鯱ほこの魚木にのぼる青葉山、渡櫓の牛込の御門」と詠んでいる。




牛込神楽坂_a0277742_17551395.jpg






「神楽坂はすこぶる急峻な長坂にて、車馬荷車並びに人民の往復も不便を極め、時として危険なることも度々なれば、坂上を堀下げんと官史が測量されたし」と、明治13年(1880)に新聞報道されている。その後、坂の頂上を伸ばして緩やかな坂に改めた。






牛込神楽坂_a0277742_15254817.jpg










by watkoi1952 | 2012-06-05 16:41 | 江戸城の内濠と外濠の景 | Comments(0)