水道橋駿河台



水道橋駿河台




江戸の武家では、端午の節句で邪気を祓う菖蒲を「尚武」と結び付けて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となった。先祖伝来の兜や鎧などの武具は奥座敷に旗指物や鯉幟は玄関前に飾り、家長が子供達に訓示を垂れたことに始まる。




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江戸の中頃になると武士の幟旗や吹流しに対抗して、町人の間で紙や木綿などの鯉のぼりが盛大に飾られた。鯉が滝を登ると龍になるという中国の故事「登龍門」から目出度い出世魚とされ、男子の無事生育を祈る初夏の風習として今日まで連綿と受け継がれている。




名所江戸百景に描かれた大きな鯉のぼりは、神田川に架かる水道橋を見下ろす奇抜な構図である。錦鯉の普及は明治以降で、黒い真鯉のみが裕福な町家に飾られていた。武家地に鯉のぼりは見られず、廣重は武家地に見える先祖伝来の幟旗を見下すかのように町人の鯉のぼりを大きく描いている。




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 江戸っ子は五月の鯉の吹き流し 


          口先ばかり腹腸はなし







雪の降りしきる神田川の水道橋橋脚を通過する筏と前方の懸桶下の筏は大川へ出て木場にでも向かうのだろうか。丸木の筏組の上で暖を取りながら、すれ違う前方の屋根船を見据えて竿を操る船頭の姿が描かれている。左のお茶の水坂上の見守番屋と懸樋の右対岸には皀角坂(さいかちざか)がある。




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by watkoi1952 | 2012-06-01 13:32 | 江戸城の内濠と外濠の景 | Comments(0)