筋違御門と八ッ小路



筋違御門と八ッ小路




筋違御門の周囲には、火除明地として設けられた広小路から八方向へ進めた。そこで八ッ小路または八辻ヶ原と呼ばれていた。柳並木は、浅草御門から続いた柳原土手である。その中ほどの番所小屋の後に昌平橋に通じる冠木門の横木が見える。また番所小屋の左の屋敷と土手の間を進むと淡路坂を上る。



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この柳原土手沿いに神田川は流れている。その右上に神田明神の櫓門と本殿が見える。左下には、筋違橋を渡り枡形門を抜け、神田橋方面へ向かう大名行列が描かれている。明治45年(1912)万世橋駅が造られ、八ッ小路が駅前ターミナル広場となる。その広場のシンボルとして、日露戦争の英雄、広瀬中佐と杉野兵曹長の銅像が一時期あった。







筋違御門内の広小路


東京名所四十八景の筋違御門の正月の三ヶ日であろうか、門内の広小路で凧遊びに高じている。正面の渡櫓門の左が神田川に沿った柳原土手である。日本橋から中仙道方面に向かう旅人は、この門の右方向からやってくる。




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筋違御門の名称は、将軍が江戸城大手門から神田橋門を経て、筋違門の渡櫓門に入り左折して筋違橋を渡る。右方向に直進して、上野寛永寺に参拝する御成道に向かう。一方、日本橋を起点として筋違橋を渡り、左折して本郷追分で中仙道と日光御成道(本郷通り)に分岐する。それらの経路が、ちょうど筋違御門で交差する。これが筋違門の由来である。






江戸図屏風

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江戸復元図


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by watkoi1952 | 2012-05-30 12:08 | 江戸城の内濠と外濠の景 | Comments(0)