宮内省と宮内庁
宮内省と宮内庁
宮内省庁舎
明治21年(1888)10月、明治宮殿と共に竣工した宮内省庁舎は、ジョサイア・コンドルの設計である。庁舎は関東大震災で被災するも修復して、昭和6年(1931)まで宮内省は存続した。
坂下御門と宮内省
坂下御門は、明治21年(1888)の明治宮殿の造営にあたり、資材搬入のため枡形の高麗門を撤去し、北向きの渡櫓門を東向きに移動して直進できる現在の坂下門となった。坂下門前は、木橋から二重橋濠と蛤濠に挟まれた頑強な土橋となった。写真右の建物は、大正15年(1926)頃の宮内省で建物の中央上部の意匠が変わり、庁舎前の植栽が大きく成長している。
昭和10年(1935)に新築された宮内省庁舎で、一度だけ一般参賀が行なわれた。正面玄関上の庇をバルコニ-代わりに、天皇皇后両陛下がお立ちになり手を振られた。
立太子の礼
昭和27年(1952)11月10日、皇太子を正式に後継者と定める立太子の礼が行われた。当時の日本国民にとって、明仁親王は復興と希望の象徴であった。翌11日に一般参賀が行なわれ、合計5回、20万人以上もの国民が皇太子明仁親王を祝福した。(宮内庁正面玄関上のバルコニ―より、左上に富士見三層櫓)
明治宮殿は、陸軍省参謀本部への東京大空襲で、桜田濠を越えて延焼して更地となっている。空襲を免れた宮内省の建物の前には丸池があり、一般参賀の人々が集まる余地はなかった。立太子の礼の20万人祝福の列に戦後復興と希望の兆しが望める。
宮内庁庁舎
昭和24年(1949)宮内省から総理府の外局の宮内庁となる。昭和27年(1952)に宮内庁庁舎の3階が改装された。昭和43年(1968)の新宮殿落成までの間、仮宮殿として使用された。新宮殿の完成時に正面玄関前にあった丸池は埋め立てられている。
平成13年(2001)より、内閣府に宮内庁が置かれている。皇室関係の国家事務を担う宮内庁長官、侍従長を始めとする特別職52人、宮内庁次長以下、一般職971人の職員で構成されている。
坂下門と宮内庁庁舎
by watkoi1952 | 2012-07-25 11:35 | 皇居の歴史景観 | Comments(0)