江戸城三十六見附門


江戸城三十六見附門




江戸城総曲輪・輪郭式平山城


江戸城は、本丸、二ノ丸、三ノ丸、西ノ丸、紅葉山、吹上御苑、北ノ丸で構成される輪郭式平山城である。城は敵に攻められた場合、段階的に、区分的に防衛できるよう城の内外を城濠でいくつもに区切る。本丸は最後に立て籠もる「詰の丸」であり、平時は将軍の居館であり、幕政の中央政庁である。西ノ丸は、将軍の隠居や後継の居館、紅葉山は、歴代将軍の霊廟であった。




徳川家直営の江戸普請(159092)、第一次天下普請(160607)、第二次天下普請(161215)、第三次天下普請(1620頃~27)、第四次天下普請(162835)、第五次天下普請(1636頃)に江戸城総曲輪の造営は完成した。




江戸城の総構は、家康に始まり、秀忠の時代に整備され、家光時代の寛永年間(162444)に外郭を含め完成を見た。江戸城の大手門から螺旋状に浅草橋まで環濠を廻らせ、戦略上の要所に城門を置き、それらを江戸城三十六見附と呼び習わした。実数は九十二門であるが、軍需物資の搬入口にあたる重要な門に枡形を置いた。



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江戸城の六大門


①大手門 ②下乗門 ③中之門 ④中雀門 ⑤内桜田門(桔梗門)⑥西丸大手門の六大門の中で、最重要門の大手門、西丸大手門、内桜田門の開閉は、暁七つ半刻(午前5時)より潜戸と小扉を開き、朝六つ刻(午前6時)櫓太鼓の音で大扉を開く。そして夜六つ刻(午後6時)には、櫓太鼓の音で大扉を閉じ、夜五つ半刻(午後9時)夜詰引けの注進で潜戸と小扉を閉切る。





内曲輪諸門(内濠)


山下門、数寄屋橋門、鍛冶橋門、呉服橋門、常磐橋門、神田橋門、一橋門、雉子橋門、竹橋門、清水門、田安門、半蔵門、桜田門、日比谷門、馬場先門、和田倉門の内郭諸門の開閉は、暁七つ半刻から潜戸と小扉を開き、朝六つ刻より大扉を開け、夜六つ刻の櫓太鼓で大扉を閉め、夜九つ刻(12時)より潜戸と小扉を閉め切り、通行手形のない者の通行を禁止した。




婦女子は夜六つ刻より女手形があれば通した。但し、火災の場合この限りではない。物売りなどは門内に入ることを禁じられた。諸荷物の搬入において、幕府御用の分は徒目付に断り、諸家の分はその家々の手形が必要であった。死者および死馬は切手(許可証)により昼夜を問わず、潜戸を開けて通したあとは打ち水をして浄めた。





内郭周囲2里(7、85km)東西21町(2、29km)面積426ha

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外曲輪諸門(外濠)


浅草橋門、筋違橋門、小石川門、牛込門、市ヶ谷門、四谷門、喰違門、赤坂門、虎ノ門、幸橋門、芝口門、浜御殿大手門。





外郭周囲4里(15、7km)東西50町(5、45km)

南北35町(3、82km)面積(2082ha)

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江戸御見附略図
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江戸城の濠と門
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枡形城門


枡形門は、城攻めの敵を防ぎ、城兵を五十騎ずつ枡形で計って出撃させたためこの名が生まれた。通常の警備では、橋を渡った高麗門の前には、番士2名が羽織袴を着用した姿で「これゞそこ行く者待て」と挙動不審者を呼び止める。江戸城警護の厳重さに身に覚えのある不審者には近寄り難い城門であった。



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江戸城の主要城門と六街道


諸街道江戸入り重要見附門、①東海道の虎ノ門・桜田門、②甲州街道の四谷門・半蔵門、③上州道の牛込門・田安門、④中山道の筋違門・神田橋門、⑤奥州道中の浅草橋門・大手門の江戸五口に、⑥大山道の赤坂門を加えて江戸六口と呼ぶ。いずれも軍需品の搬入口にあたり、いざ戦いの時、江戸城の動脈となるルートである。



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by watkoi1952 | 2012-07-19 11:01 | 江戸城三十六見附 | Comments(0)