日比谷御門



日比谷御門





日比谷門の古くは、土塁を築いた喰違いのみであったが、寛永
4年(1627)浅野長晟が石垣を積み、寛永6年(1629)伊達政宗が枡形門を築き日比谷御門を仕上げた。日比谷見附門の特徴は、濠を暗渠にして門前に橋がないこと。枡形の北側の日比谷濠に面した仕切りがない。これは、濠へ追い落とす「武者落し」で、対岸の日比谷櫓から応援射撃を受ける。晴海通り上にあった見附門の石垣は、日比谷公園の有楽門に移設している。園内の心字池と濠の石垣は、内濠から山下橋の外濠につなぐ中濠の跡である。



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江戸図屏風の日比谷門

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日比谷濠や馬場先濠は、日比谷入江の海を埋め立て時に、濠の幅だけ埋め残し工法で築いた。

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日比谷公園・首賭けイチョウと松本楼


日比谷門の傍に、樹齢4百年の銀杏の木が聳えていた。この大銀杏は、日比谷交差点ができるときに邪魔になり、移植不可能で伐採処理と決まった。この大銀杏を救ったのが、日比谷公園を設計した本多静六である。ときの東京市議会議長の星亨と大激論の末、日比谷公園松本楼脇に、「首賭けイチョウ」とも呼ばれた巨樹を移植した。明治4年(1841)以来の陸軍練兵場跡地に、明治36年(1903)わが国初の西洋式近代公園が開園した。




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日比谷交差点の左が日比谷公園入口、右に日比谷濠、その間の晴海通りが日比谷門跡である。

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by watkoi1952 | 2012-07-07 16:19 | 江戸城三十六見附 | Comments(0)