皇居正門石橋
皇居正門石橋
江戸城西丸大手橋
寛永元年(1624)江戸城西丸大手橋が架橋された時の擬宝珠が平川橋の欄干に移設され現存している。江戸時代の庶民は、馬場先濠の外の日比谷通りあたりから二重橋や伏見櫓を遠望する程度で、西丸大手門に近づくことはできなかった。
江戸図屏風の西丸大手門と西丸下乗橋
皇居正門石橋と渡櫓門
明治22年(1889)明治新宮殿の造営に伴って、久米民之助の設計で西丸大手門木橋を皇居正門石橋に架け替えた。高麗門を取り外して、正面は渡櫓門のみとなった。以来、正門石橋は、一般市民の皇室崇拝の象徴となった。
正門石橋の俯瞰
一般参賀の二重橋事件
昭和29年(1954)1月2日、皇居正門石橋に一般参賀の人々30万人以上が殺到した。渡櫓門の右折で押し合い圧し合いの混乱で折り重なって、16名死亡、重軽傷者63名を出す大惨事となった。戦国の城郭には、城攻の防衛上設けたのが濠と橋と枡形門である。有事の際に橋は切り落とし、たとえ大軍が押し寄せても枡形内では直進できず、四方からの攻撃に晒される。直角に曲がる枡形出口に向かうと、将棋倒しで混乱するように設計されている。
明治37年(1904)5月に同様な事件が馬場先門の枡形門内で起きた。日露戦争の勝利を祝う凱旋提灯行列の人々が枡形内で圧死する悲惨な事故が起きていた。この事件で馬場先門は撤去された。だが、それらの教訓は活されなかった。現在は、順次参列して厳しい入場制限を行い、毎年1月2日の新年参賀と天皇誕生日に正門から宮殿東庭へ数万人の参観が許されている。
by watkoi1952 | 2012-06-15 10:48 | 皇居の歴史景観 | Comments(0)