虎ノ御門
虎ノ御門
虎ノ門は、慶長11年(1606)肥前国佐賀藩主の鍋島勝茂が築いた。虎ノ門は、江戸六口の一つで、外桜田門から初期の東海道に通じる門である。四神相応の西を守護する白虎から虎ノ御門と呼ばれる。虎ノ門枡形の渡櫓門は、明和9年(1772)の行人坂の大火で焼失し、以後再建されない決まりであった。汐留川に架かる虎ノ門橋を渡り、虎ノ御門の枡形に入ると、そこは文部省正門である。
虎ノ門外には、丸亀藩主京極高和が国元から勧請した金毘羅宮がある。外濠の中で大きく変貌した溜池・虎ノ門界隈は、切絵図を手に丹念に歩けば、江戸の濠風景を見出すことができる。
工部省の工部大学校(現東大工学部)右奥に虎ノ御門。
虎ノ御門の外濠石垣史跡
寛永13年(1636)に築かれた江戸城外濠は、外濠通りの拡張工事で埋め立てられていた。平成16年(2004)中央合同庁舎7号館の建設にともなう、発掘調査で70mにおよぶ虎ノ御門の外濠石垣が発掘された。これらの石垣は、文部科学省構内ラウンジ前や銀座線虎ノ門駅の新庁舎連絡通路内に展示されている。
江戸城桜田門→虎ノ門→東海道
by watkoi1952 | 2012-06-07 17:08 | 江戸城三十六見附 | Comments(0)