喰違御門


喰違御門


喰違御門は、外濠の中で最も高い標高20mから弁慶濠を見下ろす地形にある。慶長17年(1612)甲州流兵学者の小畑影憲が、他の外郭門に先駆けて、縄張を開始した重要な拠点である。寛永13年(1636)に讃岐国丸亀藩主の生駒高俊が再構築した喰違見附で、左は外濠の真田濠、右は落差のある弁慶濠である。




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喰違いとは、進入路に石垣を用いない土塁を築いて直進を阻む。そのため、左右何れかに一旦曲がり、また直進する縄張の形式名である。戦国時代に、枡形門を構えない城門に採用された古い関門である。現在は、車両通過のため、クランク形から緩やかなS字の道路に改めている。




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喰違門の変


明治7年(1874114日、右大臣岩倉具視が、暗闇の喰違御門を馬車で差し掛かったとき、刺客に襲われ、傷をうけたが真田濠に飛び込み一命を取留めた事件である。高知士族の武市熊吉らは、征韓論を退けられた恨みを持つ数人が待ち伏せ襲撃した「喰違門の変」と呼んでいる。喰違御門内の右側に彦根藩井伊家中屋敷の跡地は、伏見宮邸から昭和39年の東京五輪に合わせて開業したホテル・ニュオータニである。左側の尾張藩徳川家中屋敷の跡地には、上智大学・紀尾井ホールなどがある。





喰違土橋から弁慶濠と元赤坂方面を望む


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真田濠


真田濠は、江戸城外濠延長14kmの中で、最も高い地形に位置する。ゆえに、江戸城防御の最大の要となるため、幅90m深さ14m長さ1kmの開削を行なった。濠の開削は、主に東日本の大名が務めた。真田濠の名は、信濃松代藩主真田信行の嫡男の信吉と信政に因む。真田家が濠の浚渫や玉川上水を水源とした濠の維持管理に代々取組んだ忠誠から真田濠と呼ばれた。江戸城の防御に大阪城の真田丸のような要塞を築くとすれば、この高台が最適地と考えられている。江戸の真田濠は、蓮華の花が咲き誇る景勝地であった。




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水を湛えた真田濠と学習院


明治10年(1877)神田錦町に開校した学習院が焼失したため、明治23年(1890)四谷一丁目に校舎を新設した。しかし、明治27年(1894)6月20日の明治東京地震で校舎が倒壊し、北豊島郡高田村(目白)の現在地に移転が決まる。四谷の跡地には、学習院初等科が現存する。




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真田濠と迎賓館と御所隧道


明治27年(1894109日、甲武鉄道の新宿駅から牛込駅間が開通した。この鉄道敷設工事で、真田濠半分の濠底が四ツ谷駅の鉄道敷設用地となった。迎賓館の見える赤坂御用地の右下を通る煉瓦造りの御所隧道の複線が見える。



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左の丸の内線と右の御所隧道トンネル


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甲武鉄道の開設では上下線で御所隧道を通過していたが、車両幅も大きくなり、昭和4年(1929)の複々線化で総武線下りの単線通過トンネルとなる。



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真田濠の空地は、他の濠割と同じように東京大空襲による戦災瓦礫の廃棄場となり、外濠の多くは埋め立てられた。戦後財政難の東京都は、風紀地区である真田濠の瓦礫処理埋立て費用の提供者に20年間無償供与する条件を定めた。真田濠に隣接する上智大学は、瓦礫処理費用を快諾して、一定の高さまで瓦礫を埋立て、更地にして上智大学のグランド使用権を得ている。



昭和23年(1948)の戦災復興期に連合国司令部の要請もあり、借地契約による独占使用権が継続されている。平成21年(2009)の再契約では、2028年の返還という契約である。現在は上智大学の独占使用ではなく、有料抽選でグランド使用が可能となっている。




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都有地「真田濠」の独占使用権

真田濠に隣接する上智大学は戦後瓦礫処理費用に快諾し、上智大学のグランドとして使用権を得る。これは昭和23年(1948)戦災復興期にGHQの指示により、借地契約が行われ、公有地の平日独占使用権が継続されている。平成21年(2009)の再契約が2028年の返還という最後の契約となるかどうか定かではない。この運動場を取得したのは、上智大学建設時に規定の運動場を設ければキャンパスは狭くなり学生数も大幅に減ることに起因している。

















by watkoi1952 | 2012-05-31 13:18 | 江戸城三十六見附 | Comments(0)